Xmas 救い主キリストの誕生に思う 2022年12月
寒冷の日々ですが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか?
早いもので、クリスマスと師走、新年という年の瀬になりました。今までになくクリスマスのイルミネーションが目につきます。それは今の世の中が暗いからなのでしょうか?クリスマスはイエス・キリストという救い主の誕生を祝う時です。「救い主」それは何からの救いなのでしょうか?病気、貧困、心の悩み、戦争等々なのでしょうか?当時のバステスマのヨハネの問いに、イエスは次のように答えています。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」(マタイの福音書
11章 4~6節)このイエスのことばにあるように様々な病気が治り、死人でさえ生き返る、その後に「貧しい人には福音を告げ知らされている」と言っているのです。この「貧しい人」という表現は、経済的な貧しさではなく、心の内面的、霊的な貧しさ、渇きを言っているのであって、神から離れている全ての「罪人」に対する表現なのですね。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「神が御子(救い主イエス)を世に遣わされたのは 世を裁くためではなく 御子にとって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。」(ヨハネの福音書 3章 17,18節)
私たちを天の御国へと導くためにイエスは人として生まれて、私たちの罪のために十字架にかかり、贖いの代価として身代わりに命を捨てました。その愛を信じる者は皆、神の裁きから救われて天の御国に入ることが出来るという救いなのです。感謝ですね。
新しい年が、良き年でありますように!
カレンダーと向き合う時に思う 2022年11月
徐々に暖房が恋しくなる季節になりましたが、皆様お元気にお過ごしでしょうか。
この時期になりますと、毎年オリジナルカレンダーの作成をしたり、来年の休日を確認したりとカレンダーと向き合っております。時々お伝えいたしますが、2023年という西暦の年号はキリストが生まれてから2023年ということなので、とても不思議に思っております。世界の歴史と人類の中心に存在しているのがクリスマスで祝われているキリストの誕生なのです。イスラエルのユダヤ歴の5782年の始まりは旧約聖書ですが、実はその始まりにもキリストの存在が記されているのです。「初めに神が天と地を創造した」この神は複数で三位一体と言われており、父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神なのです。そして、新約聖書でイエスは、「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」このことば=イエス・キリストなのです。永遠のベストセラー聖書の中心は、イエス・キリストなのです。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(ヨハネの福音書 5章 39節)
「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである」(ヨハネの黙示録 22章 13節)
今、私たちの周りがクリスマス一色で彩られている時こそ、このイエス・キリストとは誰なのか。私たちの人生、命とどのような関係にあるのか。しっかりと見つめる時ではないでしょうか。永遠のベストセラー聖書が何を私たちに伝えようとしているのか?真剣に考えてみてください。創造主なる神によってあなたの命のはじまりがあり、あなたは神に愛されている尊い存在なのです。
音楽教室の著作権使用料に思う 2022年10月
朝夕冷え込んできましたが、皆様お健やかにお過ごしでしょうか。
著作権や肖像権という言葉をよく耳に致しますが、今回はピアノなどの音楽教室やレッスン教室で使用されている楽曲に対して著作権料の徴収をするという判決が出たとのニュースに少々驚きました。一般に我が国は芸術面で多少遅れているように感じておりましたが、何か一歩後退してしまうように思われてなりません。西洋では一般家庭やグループで楽器を演奏するという文化が進んでおり、楽しい日常生活の一場面のように見受けられます。日本では沖縄で三線という楽器が家庭に普及しており良く弾いている場面を見聞きすることが出来ます。音楽は私たちの日常生活にかけがえのない文化であり、もっともっと大切にしたいものだと思います。驚いたことに聖書の世界でも古くから聖歌隊が存在していたようであり、音楽を楽しめたら良いと思います。「ラッパを吹きならす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、主を讃美し、ほめたたえた。」と旧約聖書に記されており、教会と讃美歌は切り離せないのです。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とのより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」(コロサイ人への手紙 3章 16節)
救い主イエスもオリーブ山で捕らえられ、十字架で処刑されることが分かっていても「そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけて行った。」歌がある、音楽がある日々、人生とは本当に素晴らしいものだと思います。私も音痴のほうですが、心から歌うことが出来る人生を過ごすことが出来ていることを幸せに感じております。皆様も神を賛美する人生を謳歌してください。
西九州新幹線の開通に思う 2022年9月
随分日常の気温も落ち着いてきたように思いますが、皆様お健やかにお過ごしでしょうか。
さて、9月23日には西九州新幹線が開通して運転がはじまりました。その開業記念チケットが発売された当日は、10分で完売したというニュースに驚きました。武雄と長崎ですから、あまり人気がないのではと思っておりましたが、さすが新幹線の威力ですね。チケットと言えば、色々な時に必要とされております。乗り物やコンサート、イベントなどでチケットなどパス券がないと通過できないのです。しかし、現在は一枚のカードでJRや地下鉄などあらゆる乗り物にワンタッチで乗れるようになっており、時代の進歩についていけません。私は毎週福岡から唐津に車で行っています、高速道路ではETCを通っていますが、それにもカードが必要で、ある時ゲートが開かずに慌てました。カードの期限切れだったのかな?等々、私たちは様々な門、入り口を通らなければなりませんが、その時にチケットやカードを持っていないと通過できないのです。何度かお伝えをしましたが、人生には最も大切な門があります。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そしてそこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」(マタイによる福音書 7章 13,14節)
ここに記されている「狭い門、いのちに至る門」それは、私たちが通らなければならない天国に至る門なのです。その門を通るチケットはお金で買うことが出来ないほど高価なものです。しかし、誰でも簡単に手に入れることができますし、無償なのです。それはイエス・キリストが私たちの罪のために十字架で命を捨てたという愛を受け入れる信仰によって手にすることが出来るチケットなのです。
海浜館の古き良きピアノに思う 2022年8月
残暑お見舞い申し上げます。皆様お元気でお過ごしでしょうか。
唐津の虹の松原にレストラン海浜館があり、30年近くお世話になりました。ここ10年位はミニコンサートなどで楽しいひと時を過ごすことができました。しかし、店長がご病気で亡くなられ、レストラン海浜館は閉館となり、解体されることになりました。その時、長いことお世話になったピアノがどうなるかと気になり、店長の兄上にお聞きしました。古くて手入れもされていなかったので、建物の解体と同時に廃棄処分を考えているとのことでした。そこで何とか活用できないものかと旧唐津銀行のホールか集会所に移設するように考え、県の重要文化財である旧唐津銀行は駄目になり、最終的に唐津集会所に移設することになりました。廃棄処分を考えていた通り、かなり傷んでおりましたが、調律等専門家の努力により、初期の手直しが終わり徐々に復元していくことになりました。廃棄される寸前のピアノでしたが、皆様に喜んで頂ける演奏ができるようになりました。私たちも価値のない者のように感じることもありますが、創造主なる神にとっては、捨てることが出来ない尊い存在なのです。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。
すなわち、ある者をない者のようにするため、無に等しい者を選ばれたのです。」
(コリント人への手紙Ⅰ 1章 28節)
私たちは、この世では何の役にも立たず、いつか忘れられていく存在かもしれません。しかし私たちに命を与えてくださった神にとっては、捨てるどころか、天のパラダイスに連れて行く尊い存在なのです。だから、私たちの罪という病であり、神との交わりを遮断していたものをイエスによって修復して下さったのです。
スケート羽生選手の引退に思う 2022年7月
雨と暑さ、コロナの感染に悩まされる今日この頃ですが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
世界的に名の知れた羽生さんのスケーティングの演技は高い評価を得ており、多くの観る方々を感動、席巻してきました。ある時は負傷していても見事に高得点を挙げたこともありました。最近4回転半を飛ぶことも期待されておりました。このように人は素晴らしい演技をすることができます。それは人間業とは思えない演技なのです。
引退と言えば体操の内村選手も凄かったですね。鉄棒の演技では鉄棒がしなって折れてしまいそうで、ビュンビュン回転する姿に圧倒されました。というように人間の持っている才能は多岐にわたっており、スポーツ、芸術、学問等々で優れたものを発揮しています。それは、何度もお伝えしますが、人間が偶然や進化してきた存在なのではなく、創造主なる神に似たものとして造られたからである証明だと言えると思います。
聖書のことばを紹介したいと思います。
「そして神は、『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして、彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。」(創世記 1章 26節)
人間は、神々をも造るという存在となったのです。それは、真の創造主なる神を知らなければ、どうしても神なる存在に頼り、拝み、心の寄り処として、人間生活に必要不可欠の存在なのです。優れている反面、人間は弱い、愚かな存在なのです。「確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」無能であるような私たちを創造主なる神は、無代価の愛で愛して下さっています。
太陽フレアの大規模な障害に思う 2022年6月
猛暑の夏到来という季節になりましたが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
最近耳にしたニュースに少々驚いております。それは大規模な太陽フレアで2週間程度地球に電波障害が発生することが予測されているというのです。太陽フレアとは、太陽の表面で発生する爆発現象のことで、数年後にはその爆発の規模が大きくなり、太陽フレアで噴出したガスが磁場を伴って地球に到達すると地球の磁気が乱されて電流や電力の保護装置が整っていなければ大きな誤作動が発生してしまうというのです。そのため、携帯電話や自動運転車やドローンの位置情報、GPSの測位制度が大幅に落ち2週間程度大混乱が発生するというのです。大体3年後のようですからそれまでに多々対策は取られると思いますが、様々な物が電気を主流として動いている現在、それはまた大きな恐怖となりかねません。太陽の恵みに浴してる地球、命あるすべてのものに逆の作用が働くとは意外でした。ただ太陽が無くなるということではないので幸いですが、もし太陽が姿を消したら、私たちは全滅ですね。大きな大きな存在太陽の恵み、光の恵みの偉大さを感じております。
聖書のことばを紹介したいと思います。
「神が『光よ。あれ。』と仰せられたすると光ができた。・・・
神は『光る物は天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のために、役立て。天の大空で光る物となり、地上を照らせ。』と仰せられた。」(創世記 1章 3節 14,15節)
神が創造したこの天と地、太陽と諸々の天体、その実態は私たちが知り、想像するよりも遥かに優れた英知の賜物であることを知ることができます。この地球の素晴らしい人間が造り上げた物も、太陽の活動で混乱するのですね!創造主なる神は、そばにおられる偉大な存在です。
小さな小さな自前の畑に思う 2022年5月
段々と汗ばむ季節になりましたが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
この一年大家さんから借りている畑をにそのままにして何も植えないで放置しておりました。土地を休ませて、次に何を植えるかを考えるようにしました。しかし、昨年の11月には落花生が思っていた以上にできたので、収穫をしました。その後はまだ何も植えず、そろそろ植えるものを決めて種まきをするか、どのような苗を植えるか決めないといけません。4月には安い耕運機で耕しました。どのようにするか思案していた時に、家内がまた畑に落花生が芽を出しているよと教えてくれました。畑を確認すると不揃いの落花生の芽が出ているではありませんか。この落花生を潰すわけにはいかず、結局今年も落花生を中心に種をまき、ワサビ菜とズッキーニとミニトマトを数本植えました。その時気がついたのですが、もうだめかと思っていたアップルミントが芽を出してました。アップルミントも土の中でしっかりと根を張っていたようです。何もないと思っていた落花生やアップルミントをみて生命力の強さと創造主なる神の恵みの大きさを改めて感じました。
聖書のことばを紹介したいと思います。
「種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。」(マタイの福音書 13章 8節)
ここでいう種とは、聖書のことばを指しております。良い地とは私たちが正しい、清い心で聖書の言葉をこころに留める時、それは私たちの内にあって、豊かな実を結ぶ人生となると救い主イエスは言っているのです。「良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結ぶ人生をおくることができます。」
どうぞ聖書を読んで神のことばを心に留めて下さい。
時々贈って頂くパンに思う 2022年4月
ツツジの季節になりました。皆様お元気でお過ごしでしょうか。
ロシアのウクライナへの侵攻を考えると暗く心が痛みますが、自然を見て慰められております。人間とは何なんでしょう?そのような中、またまたパンが贈ってきました。時々宮崎から美味しいパンを沢山送ってくださるのです。そのパン屋さんの名前が「らいふのぱん」と言って聖書から名前をつけたようなイメージで十数年前に出会ったパン屋さんで、オーナーご夫妻の年齢も同じで意気投合してお付き合いが続いております。私はお礼にお店の名前をボールペンにプリントして送っておりますが、それをまた喜んで下さり、互いに送りっこしております。ボールペンは食べれませんが、パンは美味しく食べれて、活力になります。ウクライナでは子供たちが食べる者がなくて苦しんでいるのに、残念で申し訳なく思います。聖書にはパンがいくつも登場します。私たちが生きていくのにパンは欠かすことができませんが、神のことばはパンよりも大切な心の糧であるということ、そしてイエス・キリストはとても不思議なことを言われたのです。
聖書のことばを紹介したいと思います。
「わたし(イエス)はいのちのパンです。…これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。わたし(イエス)は、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら永遠に生きます。」(ヨハネの福音書 6章
48~51節)
創造主なる神は、私たち人間には死んで後、天国に行く道が準備されていることを教えておられます。その天に行くためにイエス・キリストが十字架で私たちの罪の身代わりとして罪のないいのちという犠牲を払ったと記されております。それを信じることが天国への道に通じているのです。そのことばがいのちのパンなのです。
心がなごむ桜の開花に思う 2022年3月
色鮮やかな桜が開花する季節になりました、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
もう一ヶ月あまりロシアのウクライナへの攻撃は続いており、双方に多くの犠牲者が出ており、ウクライナの民間人(子供たち)の命が奪われております。人間の愚かさを痛切に感じておりますし、「核爆弾」という言葉に背筋が凍り付く思いです。国内では、また東北地方を中心に震度6強という地震自然災害の脅威に唖然と致します。この70年間世界は小さな戦火、戦いはありましたが、まさか世界大戦という言葉をこの時期に耳にするとは思っておりませんでした。そのような中、あちこちで咲き始めた桜に、心が癒される思いです。いつも桜を見ると聖書のアロンの杖を思い出します偉大な指導者モーセの兄のアロンはその民に非難された時、創造主なる神は、その当時の族長たちに、杖を持ってくるように命じ、その杖に花が咲いた者を最良の選ばれし器と任命したのです。
聖書のことばを紹介したいと思います。
「その翌日、モーセはあかしの天幕に入って行った。すると見よ、レビの家のためのアロンの杖が芽をふき、つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を結んでいた。」
(旧約聖書 民数記 17章 8節)
以前もお伝えしたようにアーモンドの花は、桜の花とそっくりなのでびっくりしました。アーモンドは、「バラ科さくら属」という分類です。先ほどの記述にあるようにアロンの杖に花が咲いたのです。まさに桜の花が杖のような枝に花を咲かせている姿そのもののようです。そしてこの季節はイエスの復活を祝うイースターの時期でもあるのです。杖に花が咲く、桜の花が枝に咲く、その姿にキリストの復活を見ることができ、心が和み、踊るのです。感謝!
ロシアの軍事攻撃に思う 2022年2月
3月という月になると寒さも和らぐと思いますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
残念なニュースで元気がなくなってしまいました。それは、大国ロシアが隣国のウクライナを空爆し始めたということです。どのような理由があろうと戦争は回避しなければならないと思います。しかし、人類の歴史は戦いと戦争の繰り返しだと言われております。日本も邪馬台国の卑弥呼伝説の時代も戦争の痕跡が多々残っているようです。現代社会は貧困や飢餓状態が一部の地域で残っておりますが、総じて便利で豊かになった世界だと思います。その一方で世界の大国が保有している核兵器や戦闘機、空母,戦艦等軍備は莫大であり、地球を、人類を何度も滅亡させることができるとも言われています。人のエゴとはこのように悲しいものですね。イエスの時代も捕らえられる時、イエスの弟子が剣を抜いて大祭司のしもべの耳を切り落としました。その時の主イエスのことばをご紹介したいと思います。
聖書のことばを紹介したいと思います。
「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。それとも、わたしが父(創造主なる神)にお願いして、12軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。」(マタイの福音書 26章
52~53節)
時々キリスト教も宗教戦争をしているじゃないかと言われます。旧約聖書のダビデ王の時代には聖戦として戦いの連続でしたが、天から来た救い主イエスは、捕らえられる時に弟子が剣を抜いて切り落したしもべの耳さえ癒され、神としての権力、武力を一切使うことなく十字架刑に服され、私たち罪人の身代わりになって贖いをなし、永遠の命の救いの道を開かれました。愛は全てに勝利するのです。
トンガの海底火山大噴火に思う 2022年1月
皆様お健やかに新年をお迎えになられましたでしょうか。
新年早々オミクロン株の世界的な感染で一喜一憂している中ですが、トンガで海底火山の大爆発が発生し、大きな被害が出ていまだに被害の全容が掴めず、支援物資も思うように届かないのが現状であり、ライフラインも復旧しておらず、穀物や海面にも火山灰が積もっていて農・水産物の収穫にも多大な影響が出ております。1000年前にも同等の噴火があったようですので、1000年に一度の大噴火と言われております。日頃は静かな海であり、わが国にも沢山の活火山があります。阿蘇の雄大な自然の美しさや富士山に魅了されている方々は多くおられると思います。でも阿蘇中岳の地下6㎞の下にはマグマ溜りあるとのこと等々に、目に見えないものへの恐れを感じます。しかし、目に見えなくても美しいもの高価なものも沢山あると思います。この季節近くの桜の木は枯れ木のごとく枝だけで殺風景ですが、その木の中には見えてなくても美しい花を咲かせる準備がされており、しばらくすると見事な花が咲きほこるのです。目に見えなくても美しいものは数多くあると思います。愛や命の営み、創造主なる神の存在と私たち一人ひとりの素晴らしさは目に見えませんが、思いめぐらすと幸いだと思います。
聖書のことばを紹介したいと思います。
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリントの手紙 4章 18節)
私たちは、目に見えるものに心奪われますが、見えないものこそ恐ろしく、かつ尊く、貴重なものだと思います。私たちは、お金や宝石を見ると目も心も奪われてしまいます。しかし富やお金で買うことができない愛や命、人それぞれが持っている賜物などは見えていないものですが、尊くかけがえのないものです。