クリスマスと正月の祝いに思う 2023年12月
山に雪の白さが残るこの頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。風邪など体調は大丈夫でしょうか?
クリスマスはどのようにお過ごしになられましたか。クリスチャンの少ない日本で“メリークリスマス”ということばが新聞や広告、店頭のイルミネーションなど多く見かけることに感動と共にとても不思議な思いになります。Merry
Christmas!の意味は、イエス・キリストの誕生を祝い、おめでとう、讃えますということで、11月から12月25日までまわり一色に染まるのです。2000年以上経っているのに、この言葉で満ちている現実に創造主なる神の力、私たちへの語り掛けを強く感じております。そして、その一週間後には新年を迎えて、多くの方は晴れ着に装い神社等々に初詣でお参りに行く日本の風習の祝う姿に圧倒されます。「困ったときの神頼み!」とはよく言われますが、私たちは何を拝み、何に頼り、真実に向かうところはどこにあるのでしょうか?
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「イエスは宣教を開始して言われた『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから』」
(マタイの福音書 8章 2節)
「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父(天の御国)に行くことはできません。』」
(ヨハネの福音書 14章 6節)
2000年前に乙女マリアから生まれたイエス・キリストは、罪がないのに十字架で処刑されましたが、三日後に復活しました。その壮絶な生涯は、今なおクリスマスやイースター(復活祭)で人々に光と希望を与え、私たちに天国への幸いな永遠のいのちの喜びを与えてくれます。それこそが創造主なる神がイエス・キリストの誕生を通して私たちに語ってくれた愛のメッセージなのです。 HAPPY NEW YEAR!
戦争と人質の解放の自由に思う 2023年11月
随分冷え込んできましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
世界情勢も冷え込んでおります。ロシアとウクライナ、ハマスとイスラエルの戦争が集結しそうにありません。何人の方が犠牲になればよいのでしょうか?ロシア兵の死亡者も増加しているとのこと、一人の命の尊さが本当に失われていると思います。そのような中で、ハマスとイスラエルは人質の解放で休戦になり、一般の方々は一時的な休息に安堵していると思います。その一方でそれぞれの軍事関係者は次の攻撃の戦略を練っているのだと思うと何か憤りさえ感じます。生死の境を日々味わっていた捕虜の方々にとっては解放はこの上なく喜ばしい事だと思いますが、まだ捕虜として残っている方を考えるとただ喜ばしい事ばかりではないと思います。このハガキが届く時には、再び戦闘が開始されているのかと考えると複雑な思いです。自由や解放は私たちにとって掛け替えのないものですが、日頃私たちは真の自由、解放を手にしているのでしょうか?私たちは日々罪と死に縛られ、その奴隷となっているのです。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、・・・罪から解放されて、義の奴隷となったのです。」(ローマ人への手紙 6章 16〜18節)
「なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」(ローマ人への手紙 8章 2節)
実は、私たちは神に敵対している悪魔(サタン)にによって、罪に囚われ、縛られて永遠の滅びに投げ込まれるという悲しい結末が待っているのです。しかし、創造主なる神は、そのような私たちを憐れみ、原爆よりも威力のある攻撃によって解放をして下さったのです。それが、イエス・キリストの十字架の死です。感謝です!
258gで誕生した命に思う 2023年10月
冬服への衣替えの季節になりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
また、ハマスとイスラエルの攻撃が始まり、戦争宣言がなされました。尊い命が日々失われており、がっかりしている中、ネットのニュースで驚く記事に目が留まりました。258gで誕生した赤ちゃんが現在4歳になって元気であるということです。私の孫2,000gで生まれた時、随分心配したものですが、この子は何と258gだったのです。2歳の頃までは、5kgちょっとのようでしたが、現在は普通の体重になっていたようにお見受けしました。小さい命の尊さ、生きる力を思うと本当に創造主なる神の素晴らしい力を感じます。そして、命の尊さを改めて思うことができます。ミサイルの攻撃などで子供が犠牲になり、その命が失われているという悲しい現実の中で小さな小さな命が守られ成長する神の創造の秩序に私たちは気がつき、畏敬の念を持たなければならないと思います。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。」
(マルコの福音書 8章 36,37節)
私たちは、もっと一人のいのちの尊さを認識しなければいけないと思います。いのち、それは人間だけでなく、動物や昆虫や植物など生物全体の営みを考えるとき、不思議なことばかりで、神秘で包まれているのではないでしょうか?だから私たちは、自分自身や周りの花、果物、美味しくいつも食べている諸々の命あるものに対して心の目で見て、神の創造の業を見て下さい。「初めに神が天と地を創造した」この方によって、私たちの命の始まりがあるのです。
ジャニーズ事務所の問題に思う 2023年9月
ほんの少し涼しさを感じる季節になりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
最近は、人気グループを続出したジャニーズ事務所の性被害に関する問題が、日本だけでなく国連をも引っぱり出す大きな問題となり連日多方面で話題になっております、トップの性被害に関する悍ましい被害に唖然と致しましたが、その後他国でも似た様な問題が噴出して性に関する事件は種々こもごもです。このように私たちの世界は、人的な想像を絶する被害や自然被害、モロッコの地震、リビアの大水害による1万人以上の被害者が出るという災害、ハワイの山火事による被害等々何とも考えられない出来事が多発しております。しかし、人間(人類)が大きな被害を受けた問題が、永遠のベストセラーに記されております。それは、悪魔であるサタンが人間を惑わして、「神のことばに聞き従わず、罪を犯して死ぬものとなった」という取り返しのつかない被害です。その被害から解放される手立てを人間は持っていませんでしたが、2000年ほど前に救われる道が示されたのです。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「しかし、彼(イエス)は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(旧約聖書 イザヤ書 53章 5節)
人類の歴史で、2000年ほど前イエス・キリストがこの世に誕生して、十字架で処刑されたことは皆の知るところです。イエス・キリストは私たちの罪という不治の病を癒し、その罪の縄目から解放するために、十字架で自らを犠牲にして、神の前に贖いの血を流されたのです。そのことを通して私たちを罪の被害から救い出して下さったのです。サタンの力は無に帰したのです。これが幸いな福音です。
世界陸上の小さな出来事に思う 2023年8月
残暑お見舞い申し上げます。お健やかにお過ごしでしょうか?
世界陸上選手権がブダペストで開催されており、世界各地から来られた選手の方々が数々の記録に挑戦しておられ、そのパフォーマンスにはいつも感動させられます。日本選手の金メダルが1つと少ない報道に少々残念な思いもしますが、とにかく怪我や事故がなく競技できることが幸いだと思います。そのような中で、日頃の力が発揮できずに競技を終える選手がおられることに何とも言えない気持ちになります。例えば、100m走などのスタートでフライングをして失格になる選手やゴールを目の前にして転んでしまいメダルを取り損なってしまうケースなどです。ケアレスミスで失格という事になると世界の大舞台に出場できる権利を得たのに「ドンマイ、どんまい」と言えない挫折感が襲ってくるのではないでしょうか。私たちはそれぞれの人生が与えられ、歩み、走り続けて行くときに、ちょっとしたミスで人生が狂ったり、方向転換を強いられることがあるかと思います。創造主なる神による一人一人の人生には、失格や順位による評価ではなく、皆に素晴らしいゴールがあるのです。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」(Ⅱテモテ 4章 7,8節)
クリスチャンを捕らえ、牢獄に入れていたパウロの人生は、180°転換させられました。イエス・キリストと劇的な出会いがあり、自身がクリスチャンとなり、迫害され、石を投げつけられ、死ぬ目に遭い、今まで持っていたものを全て捨てて、イエスの愛を信じて、イエスの救いを宣べ伝える人生に変わったのです。私たちすべての人には、天に向かって走るべき道のりがあるのですが、それを見出せている者は、少ないのです。
早く見つけて、天のゴールを目指して歩み走ってください。
涼を求める海や川の水難事故に思う 2023年7月
暑い暑い毎日ですが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
夏の暑い日々が続きますと、海や川の事故が増えてきますね。夏休みの初日に11歳の子どもたちが川を渡ろうとしている時に事故が起こりました。8人の子どもたちが手を繋いで渡ろうとしていたときに突然4人の子どもたちの足が捕られたようで、ズルズルと深みに引き込まれたのでしょうか、一人の子は何とか助け上げられたのですが、あとの3人は川底で姿が見えなくなってしまいました。水死という最悪の結果となってしまいました。ある時は、子供が溺れそうになり、子供は助かりましたが、救助した親や祖父が亡くなるというケースもあるようです。私も小学生のころは川で泳いだりして遊んでおりましたが、溺れそうになった方を数名見ました。川などでは浅く見えていても急に深くなったり、川底の変化が見えないのです。遠浅の海も途中が波の影響で抉れていたりした状態は上から見えないので深みにはまって溺れてしまうのです。見えないということがどんなに危険をはらんでいるかということですね。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」
(箴言 14章 12節)
私たち人間の目には、これは間違いないと思える様々なものがあると思います。科学の目、医学の目、富の目、人間が築いてきた数々の優れた目、コンピューターやAIの目などなどです。しかし、聖書は告げているのです。あくまで人間の目は限られており、本質、真理が見えていないものが沢山あるのです。全知全能の創造主なる神の目から見ると全ては明らかになります。その神の目によって記されているのが永遠のベストセラー聖書なのです。
潜水艇の高額な探検ツアーに思う 2023年6月
蒸し暑い梅雨の季節ですが、何時明けるのかと思う日々です。皆様お元気でお過ごしでしょうか。
豪華客船タイタニック号が処女航海で沈没したことは、今でも多くの方々の心を揺るがせており、沈没している海底の調査や探査は学者や探検家たちの研究の舞台です。それで今回の潜水艇の見学ツアーが計画され、何と一人3,500万円の高額でしたが、5名の方の参加で潜水がスタートしました。潜水開始から約1時間45分後には母船との連絡が途絶え消息不明となってしまいました。ご家族、関係者の方々の心痛をお察し申し上げます。当初の計画だと約2時間半で到着する予定が悲しい結果となってしまいました。人間には尊い研究心や探求心があるが故に、多くの貴重なものを発明、発見し築き上げてきました。その一方では、尊い命など失ったものも計り知れないものがあります。「知りたい」「見たい」「分かりたい」等々、私たちの知的欲求には限りがありません。未だに解明されていない生命の起源―人間の真の姿、創造主なる神の存在などを探し求めることが大切ではないでしょうか?
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。」
(ヨハネの福音書 3章 1~3節)
今や私たち人間は、宇宙にも行き、ゲノムの解析をし、クローンにより命の類似を造り、人工知能の分野も拡大され、様々な発展をしています。しかし、一方で自然は崩壊し、人口増加により食料危機が叫ばれ、核戦争の脅威が未来を脅かし、地球脱出の声さえ聞こえています。今こそ、神の存在について全力で知ることを探し求め、霊的な世界である天国が本当に存在するのか、真剣に探究する時ではないでしょうか。解く鍵は神の書―永遠のベストセラー聖書です。
G7広島サミットの成果に思う 2023年5月
真夏日の声を聞き、相変わらず気温差に体調や衣類に気が抜がけない日々ですが、お元気でお過ごしでしょうか。
今回のG7サミットは、核の戦禍にさらされた広島の地で開催され、世界の主要国が集結し、核廃絶や世界平和の実現に向けて議論がなされました。当然あるべき姿や平和のために一致協力をして取組むという大義は述べられましたが、何か言い難い不完全燃焼なる思いがあるのは私個人だけではないように思います。特に現在の戦争の引金になっているロシアや親密な関係にある中国に対する非難決議が相次ぎ、ウクライナの大統領も来日して各国に報告とともに支援の要請をしました。当然のことながらウクライナを支援している立場、台湾情勢を懸念している国々と参加していないロシアや中国に対する見解や圧力は異なり、ウクライナに対してF16戦闘機や日本も戦車など武器の供与を約束し、反撃を許容しました。戦争の休戦や停戦に向けて議論等の実際的な動きがないのです。残念なことは休戦をして、話し合うことができない状況では、何時核が使用されるか分からない現実は全く変わっていないのです。思想理念の相違、立場の違いで人間の愚かしさが露呈されているのです。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「義人はいない。ひとりもいない。…神を求める人はいない。…彼らの足は血をながすのに速く、彼らの道には破壊と悲惨がある。また、彼らは平和の道を知らない。彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」(ローマ人の手紙 3章
10、15~18節)
私たち人間が罪を犯した結果、アダムとエバの長子が次男を殺害するという悲劇だったのです。愛が育まれる家族の中の殺戮という出来事が戦争の歴史の原点なのではと思います。それにストップを掛けたのが、黙して十字架刑を受けられたイエス・キリストであり、本来の愛・平和・赦し・永遠の喜び、希望へと通じているのです。
狭いスペースを活用する事に思う 2023年4月
朝夕や一日一日の気温差が大きいので、体調を崩しておられる方が多いようですが、皆さまお元気でしょうか?
私たちは、色々な場面で、あるスペースに必要なものを詰め込んでしまわないといけないという経験をさせられることがあるかと思います。例えば荷物を梱包して送らないといけないとき、文章や図面で文字や商品をデザイン的に詰め込まないといけないとき、あるスペースにデスクやソファーなどを入れこまないといけないときなどです。商品を縦向きにしたり、横向きにしたりして、バッチリ収まった時などは、とても嬉しく、満足をしている自分に会えると楽しくなることがあります。実は私たちの人生は、長いようで短く、大きいようで小さいのが現実だと思います。このような小さな人生で色々なものを詰め込みすぎると上手くハマらず、アレやこれがはみ出したりして全くフィットしていない自分に出会うものです。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。」(使徒の働き 17章 24,25節)
私たちは日々の生き方の中で、いろんな考えや物の見方を工夫する必要があるのではないでしょうか。長いようで短い人生、何が自分にとって幸いな生き方であるのか、自分の才能は何であるのか?あれも上手くいかない、何か面白くない人生を歩む中で、確かな手ごたえを感じる生き方。それぞれの人生のゴールがどこで、何であるのかを確実なものとして手にするためには、私たちの創造主なる神の存在とその愛を自分の人生に詰め込む生き方が最善なのです。
3月という引っ越しの季節に思う 2023年3月
随分暖かくなり、桜が満開の季節になりました。皆様いかがお過ごしでしょうか
この時期になりますと,移動の季節なのでしょうか、ある大通りには引越センターのトラックが4~5台並んでいるのをみかけました。それは他人事ではなく、実は私も事務所の移転で毎日会社と自宅の整理にテンヤワンヤの日々です。整理する中で何が一番大切かというと如何に不要なもの、、日頃使っていない物を捨てて行くかということです。やや重要な書類はシュレッダーにかけて紙を粉砕します。何袋も焼却業社に持って行きました。燃えるゴミ70ℓの大袋に詰め込んでおります。私たちは人生の中で、捨てなければいけないものが多くあるのではないかと自問自答している毎日です。救い主イエスも捨てることをすすめておられますが、ちょっと怖い捨てるべきものについて教えているのです。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「もし右の目があなたをつまずかせるなら、抉り出して捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナ(地獄)に投げ込まれるよりは良いからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨ててしまいなさい。体の一部を失っても、からだ全体ゲヘナ(地獄)に落ちるよりは良いからです。」(マタイの福音書 5章 29,30節)
救い主イエスは、体の一部分を切って捨てなさいと言いました。私たちが、この世を去る時に神に喜ばれない生き方をして永遠の滅びに行くよりは、喜ばれない体の部分を切り捨ててでも永遠の命の救いに入る方が幸いですよと言われているのです。すなわち私たちの生き方の中で、神様を否定する考えや思いを捨ててしまうことが、どれほど大切であるかということを教えておられるのです。
尊い命が失われていく日々に思う 2023年2月
まだまだ寒さが身に応えますが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
トルコの大地震では、5万人超の犠牲者が出て、命を失ったことに衝撃を受けております。また、ロシアとウクライナの戦闘では30万人から40万人の方が戦禍で亡くなっていると聞いておりますが、停戦の声が聞こえず、むしろ核の使用という最悪の事態さえ危ぶまれています。核が使われると死者の数は想像を絶する数字になると思われます。最近人気者の落語家が、大動脈解離という病気で亡くなりました。等々尊い命が自然災害、戦争などの人的要因で、また病気などで失われています。特に戦争では、命がとても軽く見られているように思われ、悲しくなります。一人の命の価値や重さはどのように受け止められ、考えられているのでしょうか。主なる神は、聖書で一人の命は世界の富よりも尊い価値あるものだと伝えています。究極の問題、人はどうして死ぬのかということをどのように主なる神は言っているのでしょうか。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「罪から來る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」(ローマ人への手紙 6章 23節)
「神である主は、人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べても良い。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。』」(創世記 2章 16, 17節)
死は悲しく、寂しいものですが、実は全世界に宗教が多く存在しているように私たち人間は、この世界の命が全ての終わりではないと思っているのです。その通り、創造主なる神は天の御国があると明言しているのです。だからこそ、命は尊く、価値があるのです。創造主なる神は天で待っておられます。
この冬最強の寒さ到来に思う 2023年1月
皆様、お変わりなく、お健やかに新年をお迎えになられましたでしょうか。
10年に一度の大寒波が日本列島を覆っているこの頃です。豪雪地方の方々は、雪かき、雪下ろし等積雪対策などで大変だと思いますが、九州北部在住の私などは楽をさせてもらっている方だと思います。でもこの寒さに何を着ようかと悩みますが、あれやこれやと重ね着をしますと暖かくなるので、寒さはそれほど苦にならないように感じております。それ以上に今の世の中に起こっている戦争の悲劇やコロナの感染の問題の方が世界の情勢や私たちの心を凍らせているのではないでしょうか?戦禍にある方々が心身ともに冷え切っているのではと何も成しえない無力さにこちらも気持ちが冷え込んでしまいます。そのように冷え込んでしまっている心が温まる着物や食べ物が永遠のベストセラーである神のことばなのです。
聖書のみことばを紹介したいと思います。
「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイの福音書 4章 4節)
「バプテスマ(洗礼)を受けてキリストにつく者とされたあなた方はみな、キリストをその身に着たのです。」(ガラテヤの手紙 3章 27節)
私たちは寒い時には、アツアツの鍋物やおでんなどを食べて体を温めますが、冷えた心を温める食べ物を買うことが出来ません。それは創造主なる神の愛のことばを味あう時、心は満たされるのです。冷えた心を覆う衣を持っていないし、買うことが出来ませんが、愛に満ちたイエス・キリストという衣を着る時、私たちは経験したことのない豊かで温かい愛の衣を着て包まれます。