この本は、私が漢字について個人的に学び、教えられたことの一部をまとめたものであって、学問的な面からは充分に評価できないものであると考えます。
しかしながら、それは人類史上氷遠のベストセラーである聖書の真理と深いかかわりがあり、キリスト信仰者であれば、恐らく小生と同じ観点でうなづいて下さると思います。
聖書を一度も読まれたことのない方々にとっても、ことば(漢字)の示す意味とそこにある深淵な神の摂理なるものを僅かでもくみ取って頂けることを願いつつ、そのいくつかをご紹介させて頂きます。
まず、私が漢字に興味を抱き始めたのは、今から20年程前に韓国の老練なるクリスチャンから、2文字の『休』『義』について、その意味するところが聖書の真理を表わしているということを教えられたことに発しています。
例えば、「休」という字は「人」と「木」から成っており、木はまた「十」(十字架を表わす)と人から成っているすなわち、人が真の意味で「休むことができる」のは十字架につけられたイエス・キリストの下に行く時であるということ。また「義」という字は「羊」と「我」から成っており、羊は聖書によるとイエス・キリストが神の小羊であり人が義とされるのは、キリストの下に自分(我)が行った時であると示されたのでした。
このことについては、本編でもっと詳しくご紹介したいと思いますが、その様なことは初めて聞いたことであって、少し戸惑いもありましたが、なる程それは的を得ている解釈であり、それ以来私は時に触れ、漢字を思い浮かべては聖書の真理と関係がないか考える様になりました。そうすると面白い発見ができたのです。
それまでは、私も漢字は仏教(儒教)の教えの中にあって、聖書などとは到底ほど遠い縁のない文字であるという印象を持っておりましたが、考えれば考えるほど……ある時はインスピレーションの様に……漢字の中に聖書の真理が表現されていることに気付かされました。漢和辞典を見ても、それは充分な説明ではなく、むしろ聖書によるとなる程と思えるものが幾つも楽しいほどにでて来るのでした。
そして、聖書の中には、全てのことばの源は全知全能の神の手の中にあると記されております 。
(本文「はじめに」より)